医者の役割について

「医者の役割について」

歯科医師という職業を私は生業としておりますが、最近、医師の一人としてよく考えることがあります。それは歯科医師を含む医者と呼ばれる人たちの役割とはいったい何なのであろうか?という疑問です。

日本における国民皆保険制度、いわゆる健康保険制度は、皆さんが安心して病院にかかれるために制定された世界屈指の制度であり、これほど素晴らしい制度を持つ国は日本以外にはありません。

例えばアメリカは先進主要国の中で唯一公的な医療制度を持っていない国であるため、国民皆保険制度もありません。医療保険は個人個人が任意で民間の保険会社と契約しなければいけませんし、民間の医療保険会社の保険料が支払うことができない人達は無保険者になってしまいます。現在のアメリカではおよそ5,000万人の人たちが無保険者だそうですが、アメリカの人口がおよそ3億人ですから、6人に1人が無保険者ということになります。こういう人が病気になってしまいますとアメリカの医療費は非常に高額ですので、盲腸で自己破産なんていうことすらあるそうです。

ちなみに盲腸の手術費用でみてみますと、ニューヨークでは1日入院して243万円が平均費用だそうですが、マンハッタン地区ではさらに2倍から3倍もの費用がかかるそうです。日本の平均費用が7日間ほど入院して3割負担の場合およそ12万円ほどですので、いかにアメリカの医療費が高額かお分かりになるかと思います。

このように、日本の国民皆保険制度は日本人にとっては大変ありがたい制度なのですが、どんなに良い制度であったとしても、見る方向が違えばその評価も異なるということはよくあることです。また、この国民皆保険制度が発足されたのが1961年ですから、すでに50年以上の長い年月が経っており、時代背景的に考えても、様々な意味で何らかの制度疲労が起こっていると考えてもおかしくないと思うのです。

その中でも、私が最も気にかかっている点は、患者さんにかかる医療費が比較的少なくて済む日本では、予防という概念が先進諸国に比較してほとんど発達してこないということなのです。

たとえば、血圧の高い方がいるとします。この方が病院に行けば当然、血圧を下げるためのお薬を処方され服用を指示されますが、いったいいつまでこの薬を飲み続ければならないのでしょうか。
答えは、この患者さんご自身が自分の力で病気を克服するための努力をしない限り、一生飲み続けなくてはならないということになってしまいます。
一般的に、高血圧をはじめとする各種の慢性疾患、生活習慣病である糖尿病、脂質異常症(高脂血症)、動脈硬化症、高尿酸血症などでは、多くの患者さんが一生これらのお薬を服用し続けなければならなくなってしまうのです。
これは医療費が比較的安い日本であるからできることであり、アメリカのように医療費が非常に高い国であったとしたらどうでしょうか。先程も言いましたが、アメリカは民間医療保険ですから使えば使うほど保険料は上がっていくでしょうし、患者さんの負担は年々高くなっていってしまいます。

こうなってしまっては困りますので、患者さんは医者の言うことを真面目に聞き、ダイエットに励み、暴飲暴食を避け、塩分や油分の摂取量をへらし、今後、お薬のお世話にならずとも、これらの病気が改善していけるよう今までの食や運動の生活習慣を見直す努力を一生懸命にしていくことでしょう。

もちろん、どこの国においても経済的に恵まれている方のなかには、そんなことをしなくてもお薬を飲めば生活習慣病が治るのだったらお薬を飲んでいればいいじゃないかとお考えになる、予防に無頓着な方もいらっしゃることは事実です。しかし、予防先進国と言われているフィンランドでは、予防中心型の医療政策をとってからというもの、国民総医療費を1/3にまで低下させることができたのです。

さて、ここで話を戻しまして、医者というものの役割について考えてみたいのですが、医者は病気を治すことが役割であるのか、それとも健康を守ることが役割であるのでしょうか?
もちろん、どちらにも長けている医者が患者さんにとって良い医者であり、両方とも医者の重要な役割なのでしょう。

しかしテレビなどではこぞって「神の手をもつスーパドクター」などと銘打って、一般のドクターが行えないような特殊な治療を行なう先生を取り上げ、さぞやすごい先生のように紹介をしておりますが、どうも私には違和感を感じずにはいられないのです。これも確かに立派な医者の一つの姿だと思います。しかしどうでしょうか、病気を治すだけでなく一人の患者さんの健康を守り抜いてあげることができる医者もまたスーパードクターなのではないでしょうか。

ここで皆さんに質問をさせていただきたいと思います。どなたか好き好んで病人になりたいという方がこの世の中にいらっしゃると思われますか。当然いらっしゃらないと私は思いますし、皆さんもそう思われることでしょう。現実に私のオフィスに来られる患者さんに実際に聞いてみましても、誰一人病人になりたいという方はいらっしゃいません。

これらのことからもわかるように、健康でありさえすれば、お薬なんて誰も飲みたいと思っていないというのが本音であり、好き好んでお薬を服用されている方など、どこにも存在しないということになるわけです。
すなわち、皆さんは人として健康に生活できているということが一番の幸せであると本能的に考えているということの証になるわけです。

であるならば、もっともっと健康を守ってくれるドクターも注目されるべきであるし、私たち開業医ももっともっと予防に力を入れるべきであると思うのです。
そうなれば、医者も患者さんの健康を守るために真剣に予防を勉強していただけるようになるでしょうし、患者さん側もそれにより健康な身体をより守れるようになれますので、現在の垂れ流しとも揶揄される医療費の無駄遣いもはるかに少なくなるはずです。

こうなれば、不要な治療(生活習慣病などの慢性疾患が原因で引き起こる脳卒中や心筋梗塞などの急性疾患の治療など)も少なくなるでしょうし、予防的視点に立った質の高い医療を提供することができる医師が評価されるようになりますので、患者さんにとってのメリットも大変大きくなります。また、その結果、医療費は全体として大きく縮小されますので、国家的経済メリットや健保を抱える企業の経済メリットも多大なものとなることは確実なのです。すなわち、医者、患者、国家、企業のすべてがウィンウィンの関係を築けることができるのです。

さらに、このような予防管理体制が国家的に確立されることにより、平均寿命(男性79歳、女性86歳)と健康寿命(健康状態が良くお薬の服用などをされていない時点までの年齢)との差を今までよりもはるかに縮めることができるようになるのです。あまり聞きなれない言葉かもしれませんが、現在の日本においては、男性で約10年、女性で約12年の平均寿命と健康寿命の差があります。すなわち、現在のお年寄りにおいては、お亡くなりになるまでの10年間または12年間は、何らかの形でお薬の服用をされていたり、寝たきりの生活を送らなければならなくなってしまっていたり、入院生活を余儀なくされてしまっているということになるのです。

そこを、改善することができればどれほど大きな恩恵を皆さんにもたらすことができるでしょうか。一番大きく直接的に皆さんの生活にかかわってくるのが介護の問題です。皆さんもよくご存じのように現在の日本は世界一の超高齢化社会国家であり、4人に1人以上が65歳以上のお年寄りなのです。先程、平均寿命と健康寿命のお話をさせて頂きましたが、それらのお年寄りは何らかの形で病院通いやお薬の服用、入院などを余儀なくされてしまっており、そこには莫大な医療費が必要となっております。また入院生活とまではならないまでも痴呆などにより、老人ホームや在宅での看護などを受けていらっしゃるという場合もあります。このような状況は、大なり小なり介護をなされているご家族の経済的負担や精神的、肉体的負担というものを引き起こし、そのストレスは計り知れないものになってしまっているわけです。

こういった現状が取りも直さず、現在までの国民皆保険制度の制度疲労であるのではないかと私は思うのですが、このような状況になる前に予防管理という分野を医療制度上しっかりと国家が確立し、若いうちからそのような健康管理をしっかりと受けられるシステム作りをし、お年寄りになっても平均寿命近くまでお元気に暮らせることができるような日本に一刻も早くなってもらいたいと切に願っております。

そういった視点から考えてみますと、医者というものの役割は、生活習慣病になってしまった患者さんに一生お薬を投薬し続けることではなく、一刻も早く患者さんがお薬から脱却できるように生活習慣や食生活習慣のアドバイスを行い、もう一度その患者さんが健康で幸せな生活を送れるようにするために、常に患者さんと接することであるのではないかと私には思えてならないのです。

何度も言いますが、直接生命にかかわる脳卒中や狭心症、心筋梗塞などは、生活習慣病などの基礎疾患が基となって発生する病気です。このような病気が発生してしまってから治療をしていたのでは、それこそ一生お薬の世話にならなければいけなくなってしまいますし、運が悪ければ一生寝たきりのような生活を余儀なくさせられてしまいます。こういった医療制度から一刻も早く脱却し、本当に健康で幸せな生活を手に入れていただくためにも予防が何よりも大切なのです。それこそが、健康寿命を平均寿命に近づけるための一番の近道だからなのです。

どうか皆さん、健康的な生活習慣というものをもう一度一緒に考えてみようではありませんか。そのような時代が一日も早く訪れてくれることを私は本当に心より願っております。